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Apr 26, 2020, 10:53 #Reading
古本、おそらく絶版。父からすすめられたので読んでみる。
情報文化問題集
NTT 出版
1992 年
5 章立て。
当時の様々な分野の知識人や文化人などといわれるひとたちが寄せた 5 つのテーマに関する発表にくわえ、監修の松岡正剛そのほかとの討論のようすが収録されている。
松岡正剛は編集工学の提唱者で、この本の構成をしている NTT 主催の情報文化研究フォーラムの座長をつとめている。
編集工学はどんなものかというと、無味乾燥な情報に意味付けをして意味ごとにまとめあげる、もっとかんたんにいうと情報に関連性をもたせる、という行為を「編集」と定義したときの、その方法論のことらしい(くわしくない)。情報化社会がひきおこす情報の氾濫に対処すべくかんがえられたらしい(くわしくない)。
本棚の本をタイトル順ではなく関連性をもたせてならべるための方法論みたいなかんじ? いまのことばでいうとデータマイニングの方法論みたいなものかもしれない。
とりあえずまあよくわからんので、あとがきから読んでみる。
どうやらこの本は、情報とはなんだろうというのをかんがえる討論の内容を編集再構成してダイジェストにしたものらしい。
30 年ぐらいまえの本なので当時のひとはこう考えていたという半ば歴史書みたいなところがある。
全体的にシャーマニズムとかトランス状態をひきおこすものについての言及がおおかった。おもしろいとおもったところについて書く。
ふつうの文章は脈絡をつくるために接続詞をつかってなめらかにつなぐが、「尽くし」つまり羅列にはそれがない。ことばの羅列はパワーがあるというはなし。むかしから日本でも中国でもキリスト教圏でも羅列がつかわれている。筒井康隆や村上春樹なんかも羅列をつかっているという指摘があった。西尾維新とかもあてはまりそう(ほぼよんだことないけど)。
ラップも羅列だとおもう。俳句や短歌でもならべただけのものがあるし、早口言葉は最たる例だとおもう。しらべていたら寺山修司のおもしろい俳句というか川柳があった
法医学・桜・暗黒・父・自涜
きらいなものを羅列したらしい(?)。地震雷火事親父のようなフィーリング。
羅列はもともと現実の豊かさを表現する目的があったが、やがて羅列そのものが目的になっていったという指摘があった。羅列はモンタージュなので、ならべた瞬間に相対的な意味がでてくるところがおもしろいのだとおもう。ことばではないけれど、映画はカットをつなぎあわせると意味が発生する(モンタージュ理論とかクレショフ効果)というのを意図的にやっているし、接続詞をつかわずにぶつ切りでならべたほうがむしろ映像的なのかもしれない。
羅列のルーツは祝詞にいきあたるらしい。当然、日本にかぎったはなしだとおもわれる。祝詞は音の重なりやリズム、くりかえしを長時間反復することによって、トランス状態にはいることができるようになっているらしい。
結局のところ、テーマになっていることは反復やトランスに議論が行きついている。ほかには茶の湯の数寄についての討論で、物をあつめることや物を知ることへの執着について言及があった。これは羅列に通じるとおもう。反復や羅列(あつめてならべる)には本能的なたのしさがあるということになる。いまのエンタメにあてはめてみると反復や羅列の要素がうかびあがってきそうだ。
人文系の人がおおかったので討論という名の「わたしには〜のようにおもわれる」の連続でちょっと(かなり)つらかった。理由があるようでない、ないなんとなくの連続でこういう話し方するのが人文系なんだな〜とおもった。つらかった(たいせつなこと)。